タイ人とは?タイの気質について

タイのお寺
タイに住んでみて約4年。タイ人と結婚したり、知人が帰国したり、会社のスタッフがアメージングだったりで、改めてタイ人の気質について考えてみます。(あくまでも個人的な感想・意見です)

タイ人とは

タイというと「微笑みの国・タイランド」というキャッチフレーズどおりのイメージが定着している気がします。にっこりと微笑んで両手を合わせすしぐさ(ワイといいます)を見ると「微笑みの国」と呼ばれるのに相応しい国だとおもいます。
ただ、実際に住んでみるとタイ人に対する印象は必然的に変わってきます。いまの自分に「タイ人とは?」と聞かれたら「刹那主義」と一言で答えます。逆に「日本人とは?」と聞かれたら「事なかれ主義」とも答えますが、、、

刹那主義とは

刹那とはもともとは「一瞬を大切に全力を尽くす」というお釈迦様の教えの一つですが、一般的には「一時的な快楽を追求する」という意味合いです。タイ人は日本人と比べるとこの傾向が強いのは確かです。この刹那問題は結構根が深くて、いまから700年くらい前のスコータイ王朝リタイ王の三界経(トライプーム)から続く、タイ人独自の価値観があるようです。

トライプームは徳を積めばよい事があるという教えが基本ですが、国家の宗教として仏教が普及し支配者層にとって都合が良いように「いま豊かな人は前世も豊か。いま貧しい人は前世も貧しかった」という、現生ではどうしようもない身分を固定するような価値観が培われます。現チャクリー王朝の王によって、この考え方は否定されますが、タイ人が刹那的になる大きな理由になっているとおもいます。

タイと日本の仏教

また、日本の大乗仏教とタイの上座部仏教(小乗仏教)は本質的な違いがあります。仏教では悟りを得ることが大きな目的です。日本のような大乗仏教では、誰でも良いことをして徳を積み、仏教を信仰すれば悟りを開くことが出来るというスタンスです。
一方、タイの上座部仏教では悟りを開くことができるのはお坊さんだけであり、一般人はお坊さんの修行を支えるというスタンスです。つまり、一般人は悟りを開くことができないという考え方です。

一般的なタイ人は寄付をする習慣がありますが、これはお坊さんの修行に貢献したり、お寺を綺麗な状態にすることで、ラッキーなことがあると考えているためです。お金を寄付することで来世が少しでも良くなって欲しいという期待もあります。

「日々の生活において徳を積む」という文化的な背景がないのは、社会とのつながりにおいて、刹那的な傾向を生み出しているのは間違いないとおもいます。

儒教的な反省がない

曽子曰わくで有名な「吾れ日に我が身を三省す」のとおり、良くも悪くも日本人にとって「反省する」という行為自体にとても大きな意味合いがある気がします。これ自体は古代中国がルーツの考え方です。

ただ、江戸時代に儒教が盛んに研究されたこともあり、論語的な影響は中国よりも日本で色濃くの残っています。「反省する = 余計なことはしない」が「事なかれ主義」の根底にあるとおもいますが、日々の生活において反省することは、学習効果を高める手段だとおもいます。

単純なミスをしたタイ人のスタッフに「少し反省して」といっても、「うっかりミスをすることが私の特徴です」と言われたことがあります。学校教育で欠点を直さない傾向にあるタイだと、結構な確率でこのような考え方をする人がいます。

儒教的な考え方がないタイにおいては「自分の行いを変える」ということ考え方が、人によっては全く通用しなかったりします。自分との接続性が失われるという点において、これも刹那の背景の一つだとおもいます。

タイって微妙な国なの?

タイ人には、刹那的で物欲的な傾向があるのは確かですが、決して嫌な人たちという訳でもないです。刹那的であるからこそ、タイ人の無垢なやさしさに触れたり、ストレートすぎる人柄に接すると、強烈な印象として残ります。

タイ人は他人に対して「自分に干渉して欲しくないから、他の人にも干渉しない」という考え方もあるため、外国人としてタイに滞在するときには心地よさを感じるときが多々あります。ただ、いまの嫁と結婚することを決めた最大の理由は「タイ人らしくないから」だったりします。嫁も「タイ人は無理」と考えていたようで、お互いの思惑が一致した感じです、、、